憲法復原・改正論
憲法無効論については、以前このブログで述べたことがあるが、それについて再び述べたい。
暫定憲法論
A朕(ちん)カ(が)祖宗(そそう)ニ承(う)クルノ大権ニ依(よ)リ現在及(および)将来ノ臣民ニ対シ此(こ)ノ不磨ノ大典ヲ宣布(せんぷ)ス
B現在及(および)将来ノ臣民ハ此(こ)ノ憲法ニ対シ永遠ニ従順ノ義務ヲ負フヘシ(おうべし)
C憲法ノ条項ヲ改正スル必要アルトキハ勅命(ちょくめい)ヲ以(もっ)テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘ(べ)シ
D天皇ハ法律ニ代ルヘキ(かわるべき)勅令(ちょくれい)ヲ発ス
AとBは前文の「憲法発布勅語」である。Dは『大日本帝国憲法』第八条である。Bにおいて、「将来の臣民は此の憲法に対して永遠に従順の義務を負う」とある。Dにおいて、天皇の勅令は法律と同様であると記されてある。
D天皇ハ法律ニ代(かわ)ルヘ(べ)キ勅令(ちょくれい)ヲ発ス
「憲法発布勅語(ちょくご)」は天皇によって定められた「法律に変えるべき勅令」(帝―八条)<帝は帝国憲法の略、以下同>である。その「法律」には、「将来の臣民は此(こ)の憲法に対して永遠に従順の義務を負(お)う」と記されている。
では、どうやって放棄するか。
『ハーグ陸戦法規』と「憲法発布勅語」に基づいたと言ったらよい。占領中に作られた憲法は有効だとしても放棄された先例はあるのです。
憲法の前文
「憲法ノ条項ヲ改正スル必要アルトキハ勅命(ちょくめい)ヲ以(もっ)テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘ(べ)シ」――これは、「憲法の条項」のみを改正できる、という意味である。
従って、憲法の前文等は改正できないのである。
それでは、『大日本帝国憲法』と『日本国憲法』の前文を見てみよう。
大日本帝国憲法の正当性は「憲法発布勅語(ちょくご)」という名の法律に示されている。ここにその全文を示そう。素晴らしい名文である。
憲法発布勅語
朕(ちん)国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以(もっ)テ中心ノ欣栄(きんえい)トシ朕(ちん)カ(が)祖宗(そそう)ニ承(う)クルノ大権ニ依(よ)リ現在及(および)将来ノ臣民ニ対シ此(こ)ノ不磨ノ大典(たいてん)ヲ宣布(せんぷ)ス
惟フ(おもう)ニ我カ(わが)祖我カ(わが)宗(そう)ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼(ほよく)ニ倚(よ)リ我カ帝国ヲ肇造(ちょうぞう)シ以テ無窮(むきゅう)ニ垂(た)レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並(ならび)ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ国ヲ愛シ公(こう)ニ殉ヒ(したがい)以テ此(こ)ノ光輝アル国史ノ成跡(せいせき)ヲ貽(のこ)シタルナリ朕(ちん)我カ(わが)臣民ハ即(すなわ)チ祖宗(そそう)ノ忠良ナル臣民ノ子孫ナルヲ回想シ其(そ)ノ朕(ちん)カ(が)意ヲ奉体(ほうたい)シ朕(ちん)カ(が)事ヲ奨順(しょうじゅん)シ相与(あいとも)ニ和衷(わちゅう)協同シ益々(ますます)我カ(わが)帝国ノ光栄ヲ中外ニ宣揚(せんよう)シ祖宗ノ遺業ヲ永久ニ鞏固(きょうこ)ナラシムルノ希望ヲ同(おなじ)クシ此ノ負担ヲ分(わか)ツニ堪フ(たう)ルコトヲ疑ハサ(わざ)ルナリ
朕(ちん)祖宗(そそう)ノ遺烈ヲ承(う)ケ万世(ばんせい)一系ノ帝位ヲ践(ふ)ミ朕(ちん)カ(が)親愛スル所ノ臣民ハ即(すなわ)チ朕(ちん)カ(が)祖宗(そそう)ノ恵撫(けいぶ)慈養シタマヒ(い)シ所ノ臣民ナルヲ念ヒ(おもい)其(そ)ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳(いとく)良能ヲ発達セシメム(ん)コトヲ願ヒ(ねがい)又其(そ)ノ翼賛ニ依(よ)リ与(とも)ニ倶(とも)ニ国家ノ進運ヲ扶持(ふじ)セム(ん)コトヲ望(のぞ)ミ乃(すなわ)チ明治十四年十月十二日ノ詔命(しょうめい)ヲ履践(りせん)シ茲(ここ)ニ大憲(たいけん)ヲ制定シ朕カ(が)率由(そつゆ)スル所ヲ示シ朕(ちん)カ(が)後嗣(こうし)及(および)臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行(じゅんこう)スル所ヲ知ラシム
国家統治ノ大権(たいけん)ハ朕(ちん)カ(が)之(これ)ヲ祖宗(そそう)ニ承(う)ケテ之(これ)ヲ子孫ニ伝フ(つたう)ル所ナリ朕及(および)朕(ちん)カ(が)子孫ハ将来此(こ)ノ憲法ノ条章ニ循ヒ(したがい)之(これ)ヲ行フ(おこなう)コトヲ愆ラサ(あやまらざ)ルヘ(べ)シ
朕(ちん)ハ我カ(わが)臣民ノ権利及(および)財産ノ安全ヲ貴重(きちょう)シ及(および)之(これ)ヲ保護シ此(こ)ノ憲法及(および)法律ノ範囲内ニ於(おい)テ其(そ)ノ享有(きょうゆう)ヲ完全ナラシムヘ(べ)キコトヲ宣言ス
帝国議会ハ明治二十三年ヲ以(もっ)テ之(これ)ヲ召集シ議会開会ノ時ヲ以(もっ)テ此(こ)ノ憲法ヲシテ有効ナラシムルノ期(き)トスヘ(べ)シ
将来若(もし)此(こ)ノ憲法ノ或(あ)ル条章ヲ改定スルノ必要ナル時宜(じぎ)ヲ見ルニ至ラハ(いたらば)朕(ちん)及(および)朕カ(が)継統ノ子孫ハ発議ノ権ヲ執(と)リ之(これ)ヲ議会ニ付シ議会ハ此(こ)ノ憲法ニ定(さだ)メタル要件ニ依(よ)リ之(これ)ヲ議決スルノ外(ほか)朕(ちん)カ(が)子孫及(および)臣民ハ敢(あえ)テ之(これ)カ(が)紛更(ふんこう)ヲ試(こころ)ミルコトヲ得サルヘシ(えざるべし)
朕(ちん)カ(が)在廷(ざいてい)ノ大臣(たいしん)ハ朕(ちん)カ(が)為(ため)ニ此(こ)ノ憲法ヲ施行スルノ責ニ任スヘク(にんずべく)朕(ちん)カ(が)現在及(および)将来ノ臣民ハ此(こ)ノ憲法ニ対シ永遠ニ従順ノ義務ヲ負フヘシ(おうべし)
御名御璽(ぎょめいぎょじ)
明治二十二年二月十一日
『日本国憲法』にはそれを支持する法律がなく、かわりに「序文」という名の反省文が描かれてある。
「序文」 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢(けいたく)を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍(さんか)が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存(そん)することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅(しょうちょく)を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつ(っ)て、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従(れいじゅう)、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努(つと)めてゐ(い)る国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ(う)。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免(まぬ)かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつ(っ)て、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふ(したがう)ことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ(ちかう)。
一歩の明治憲法には「告文(こうもん)」まである。
皇朕(わ)レ謹(つつし)ミ畏(かしこ)ミ
皇祖(こうそ)
皇宗(こうそう)ノ神霊ニ誥ケ(つげ)白(もう)サク皇朕(わ)レ天壌無窮(てんじょうむきゅう)ノ宏謨(こうばく)ニ循ヒ(したがい)惟神(ただかみ)ノ宝祚(ほうそ)ヲ継承シ旧図(きゅうと)ヲ保持シテ敢(あえ)テ失墜スルコト無シ顧(かえり)ミルニ世局ノ進運ニ膺(あた)リ人文(じんもん)ノ発達ニ随ヒ(したがい)宜(よろし)ク
皇祖
皇宗ノ遺訓ヲ明徴(めいちょう)ニシ典憲ヲ成立シ条章ヲ昭示(しょうじ)シ内ハ以(もっ)テ子孫ノ率由(そつゆ)スル所ト為(な)シ外ハ以テ臣民翼賛ノ道ヲ広メ永遠ニ遵行(じゅうこう)セシメ益々(ますます)国家ノ丕基(ひき)ヲ鞏固(きょうこ)ニシ八洲(やしま)民生ノ慶福ヲ増進スヘ(べ)シ茲(ここ)ニ皇室典範及(および)憲法ヲ制定ス惟フ(おもう)ニ此(こ)レ皆
皇祖
皇宗ノ後裔(こうえい)ニ貽(のこ)シタマヘ(え)ル統治ノ洪範(こうはん)ヲ紹述(しょうじゅつ)スルニ外(ほか)ナラス(ず)而(しか)シテ朕(ちん)カ(が)躬(み)ニ逮(および)テ時ト倶(とも)ニ挙行スルコトヲ得(う)ルハ洵(まこと)ニ
皇祖
皇宗(こうそう)及(および)我カ(わが)
皇考ノ威霊ニ倚藉(いせき)スルニ由(よ)ラサ(ざ)ルハ無シ皇朕(わ)レ仰(あおぎ)テ
皇祖
皇宗及(および)
皇考ノ神祐ヲ祷(いの)リ併(あわ)セテ朕(ちん)カ(が)現在及(および)将来ニ臣民ニ率先シ此(こ)ノ憲章ヲ履行シテ愆(あやま)ラサ(ざ)ラム(ん)コトヲ誓フ(ちかう)庶幾(ねがわ)クハ(ば)
神霊此(こ)レヲ鑒(かんが)ミタマヘ(え)
これで両者が完全に異なるのは明らかである。
憲法復原の方法
それではいかにして憲法を復原するか、であるが、これについては、「事情判決の法理」というものが存在する。
簡単に言うと、「原状回復」が不可能な状態に至った場合には、違法でも有効とみなされる、ということである。「一票の格差」問題では、直ちに無効とすると混乱が大きいため、「将来効判決」が出されたこともある。
「通常、違憲判決は、当事者に関しては遡及効がある。事件が発生した時点に戻って宣言しない限り、具体的事件の解決としては役に立たないからである。例えば、尊属殺を違憲とする判決が当事者に対しても将来に向かってしか有効でないのであれば、問題となった事件の被告人は、死刑または無期懲役という処断を避けることはできない。したがって、訴訟当事者に関しては、違憲判決も遡及効を持つと言わなければならない。しかし、それ以外の者に対しては、将来効を有する。例えば、検察官は、以後、尊属殺で起訴すべきではなく、法務省は尊属殺による収容者を速やかに仮釈放すべきであり、国会は速やかに尊属殺規定を削除すべき憲法上の義務を負うことになる。このように、当事者は遡及効、対社会的には将来効と分かれるところから、通常の違憲判決の持つ効果を、相対的将来効判決と呼ぶ」http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaisunao/seminar/1020unconstitutional_judgment.htm
期限を区切った将来効判決では、国会に「違憲」である現状の是正が期限を区切って求められる。そして、この憲法無効論でも、国会が将来効決議を行えばどうか。
「国権の最高機関」たる国会が、以下の決議を行う。
「『日本国憲法』は法理論上、無効である。しかし、憲法は長い間国民に定着し、『大日本帝国憲法』をそのまま復原すると混乱が生じる。そのため、一年後を持って『日本国憲法』を失効させ、その間に、『大日本帝国憲法』第73条の規定に準拠し、貴族院の権能を参議院に代行して、自主憲法を制定すべきことをここに決議する」
その後、以下の手続きで自主憲法を制定する。
①<憲法無効の将来効決議>
②<天皇が憲法改正の草案の勅令を出す>
③<内閣の国務大臣が天皇の勅令に副署し憲法改正を発議>
④<衆議院三分の二以上の議員が参加した議会で三分の二以上の賛成>
⑤<参議院でも同様の手続き>
⑥<憲法改正の公布>
これが社会的混乱も最も少ない、憲法無効論の法実践であると思われる。
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