九州王朝「倭国」終末期の"王統交代"(前篇)
私は、小学生のころから、「古史古伝」と言われる、一連の古文書群に関心を持っていたが、その多くは、『天津教竹内文書』のような、荒唐無稽ないわゆる「超古代史」「偽書」とされるものであった。
しかし、『和田家文書』は江戸時代の成立であるものの、古田武彦氏の研究により「真書」であることが判明しており、他にも、江戸時代に成立した文献には、かなり歴史学上の貴重な話が含まれているものと思われる。
例えば、先日、私は鳥取市へ行き、地元の公民館で『伯因伝説集』という本を読ませていただいたが、そこには、『因幡志』等の江戸時代に成立した民話集からの引用が相当数あり、その中には「天照大神の征西」といった「超古代史」的内容から、地元の伝承・神話に基づいているとみられる話まで、多種多様であった。恐らくは、その一部は古代出雲王朝と因幡の関係を記す、貴重な資料となるのではないか。
だが、こうした「近世文書」による古代史研究には、やはり限界がある。
そこで、鎌倉時代の成立ではあるものの、「古史古伝」のなかでは――偽書『天津教竹内文書』等を除くと――比較的成立年代の古い『上記』の「ウガヤフイアエズ王朝」の歴史が、実は「九州王朝の歴史」ではないのか?と、考えてみた。
また、こちらは戦国時代の成立ではあるものの、『高良記』という古文書にも、古田武彦氏が「九州王朝の系譜」であると指摘している古文書があり、これらや「倭の五王」記事と照合させると、『失われた九州王朝』の系譜が復元できるのではないか、と考えた。
その結果が、次の表である。(あくまで、一試案として提示した)
代数 | 上記 | 高良記 | 中国・日本史書 |
1 | うがやふきあえず | ||
2 | ? | ||
3 | ましらたままかかひこ | ||
4 | えみぞほあかし | ||
5 | あめつちあかりなすあかたま | ||
6 | いわぼこはなめひとりたち | ||
7 | くしとよひめ | ||
8 | ひかりとウるわらわせひめ | ||
9 | ちくさひめ | ||
10 | ちたらしひめ | ||
11 | まがきるつるぎひこ | ||
12 | やひろとのつくり | ||
13 | とよあきらくにおし | ||
14 | ほのすせりくしましらひめ | ||
15 | うすきねひこ | ||
16 | うぶとまさき | ||
17 | うわてるあかりひめ | ||
18 | よざみさとひめ | ||
19 | すくながたを | ||
20 | あまつあかりすくなおおなひこ | ||
21 | あめにきしあかり | ||
22 | あめおしひらきかむたまひこ | ||
23 | あめにきしさまつわけくにたらし | ||
24 | あめにぎしくろはまこ | ||
25 | とあきたらしなかおき | ||
26 | たねかしひこ | ||
27 | たけたま | ||
28 | あめのいそりえらきのを | ||
29 | かむとよみ | ||
30 | まろせのを | ||
31 | たちばなひめ | ||
32 | はなよりひめ | ||
33 | すがのみやひめ | ||
34 | やちをかめのを | ||
35 | はなひめ | ||
36 | わかてるひこ | ||
37 | まつてるひこ | ||
38 | あまつのりとこ | ||
39 | かむたらしいたらしひこ | ||
40 | かむたてひめ | 彦太忍信命 | |
41 | かむたていそたらしひこ | 屋主忍武雄心命 | |
42 | つるまイひめ | 高良玉垂命神 | |
43 | とよたらしおおみなか | 朝日豊盛命神 | |
44 | おおかしきいぶき | 物部日良仁光連 | |
45 | そらつあらいそいからすたけ | 日往子明連 | |
46 | からすことたりすがを | 日男玉頼連 | |
47 | おおにわたらしひめたけし | 神力玉依連 | |
48 | とよつかむたらしわけ | 日光玉一連 | |
49 | とよたらしひこ | 日往玉尊連 | |
50 | かむたらしわけくにおしのめ | 日明玉連尚 | |
51 | くにおしわけかむたらしひこ | 舎男連常 | |
52 | あまつほのエたまひこ | 日柱男連廣 | |
53 | あめひらきあかりしくにつか | 大直連俊 | |
54 | たかまのはらかかきとをるくにしり | 大全神連親 | 旨 |
55 | ? | 日天男連信 | 讃 |
56 | ? | 大長津連秀 | 珍 |
57 | ? | 神仲熊連豊 | 斉 |
58 | ? | 神天子連家 | 興 |
59 | ? | 神道天連良 | 武 |
60 | ? | 神司宮連法 | |
61 | ? | 神天仲連就 | 磐井 |
62 | ? | 神頭国連軌 | 葛子 |
63 | ? | 神斗玉連仍 | |
64 | ? | 神面土連篤 | |
65 | ? | 賢名皇連忠 | 多利思北孤、上宮法皇 |
66 | ? | 意賢皇是連 | 利(上塔の「利」) |
67 | ? | 賢天皇兼連 | |
68 | ? | 公兼皇連岩 | 斉明天皇 |
69 | かむたらしわけとよすき | 薩野痲 | |
70 | かむころづてものべたけ | 天武天皇<A> | |
71 | あまてるくにてるひこももかひうす | 高市皇子 | |
72 | おおわだつひこいつせ |
「ウガヤフキアエズ55代」から「ウガヤフキエズ68代」(以下、それぞれ「ウガヤ●代」と記す)は『上記』では欠落している。
偶然にも、その部分を『高良記』で「充てる」形となったが、それは、以下の「比定」をおこなったからであり、あくまで「一試案」であることを言わせていただく。
①つるまイひめ=高良玉垂命神
②とよたらしおおみなか=朝日豊盛命神
③神仲熊連豊=斉
④神天仲連就=磐井
⑤賢名皇連忠=多利思北孤
古田武彦氏は多利思北孤を九州王朝の初代天皇であるとともに、「神天子連家」でもある、とされているが、それでは、「九州年号」とまったく代数が一致しない。
私は、ウガヤ65代「賢名皇連忠」以降になって、初めて「皇」の字が使用されているのであるから、その時になって初めて、九州王朝は「天皇」「天子」を名乗るようになった、と考えたい。
高良玉垂命神は女神であり、年代的には「つるまイひめ」と「かむたてひめ」の両者の可能性があったが、その次が「朝日豊盛命神」であり、「豊」の字が一致している「とよたらしおおみなか」に比定してみた。
後は、主に「九州年号」を基準に、次の「法則」をたてて、比定していった。
A王者が交代すると必ず「九州年号の改元」があるはずである。(「九州年号の改元=世代交代」では、ない)
B重要事件は『二中歴』(平安時代)や『日本書紀』等から推測する。
その結果、上のような対応表が完成した。
「白村江の戦い」のあった「白鳳」の年間の九州王朝の王が、『日本書紀』における「筑紫君薩野痲」であったことは、ほぼ確実である。
すると、それ以降の九州年号は「朱雀」(684~686)「朱鳥」(686~695)「大化」(695~704)「大長」(704~712)までの四年号しかなく、ウガヤ71代「あまてるくにてるひこももかひうす」の時代に「大地震」が記録されているが、『筑紫国風土記』によると、「朱鳥」年間に「九州大地震」が起こったことが記されているので、同じ年代であると推測した。
また、高市皇子は696年に死去しているが、彼の息子である「長屋王」が、実は「長屋親王」と呼ばれていたことが、木簡等から判明している。律令制下では「親王」は父親が「天皇」でないと呼ばれない称号であり、高市皇子が大和王朝の天皇であったという痕跡はないことから、九州王朝の天皇であったと考えられる。
さらにいうと、天武天皇自体が、「二人いた」可能性がある。というのも、天武天皇の子供たちの系譜の記録が不可解であり、「高市皇子の父」と「草壁皇子の父(文武天皇の祖父)」が「別人」ではないのか、とかつてからいわれていたのだ。(天武天皇は二人いた。 日出島哲雄参照)
「正妃を立てて皇后とす。后、草壁皇子尊を生れます。先に皇后の姉大田皇女を納して妃とす。大来皇女と大津皇子とを生れませり。次の妃大江皇女、長皇子と弓削皇子とを生れませり。次の妃新田部皇女、舎人皇子を生れませり。又夫人藤原大臣の女氷上娘、但馬皇女を生めり。次の夫人氷上娘の弟五百重娘、新田部皇子を生めり。次の夫人蘇我赤兄大臣の女太娘、一の男・二の女を生めり。其の一を穂積皇子と曰す。其の二を紀皇女と曰す。其の三を田形皇女と曰す。天皇、初め鏡王の女額田姫王を娶して、十市皇女を生しませり。次に胸形君徳善が女尼子娘を納して、高市皇子命を生しませり。次に宍人臣大麻呂が女かぢ媛娘、二の男・二の女を生めり。其の一を忍壁皇子と曰す。其の二を磯城皇子と曰す。其の三を泊瀬部皇女と曰す。其の四を託基皇女と曰す。」
前者を「天武天皇<甲>」(天武天皇<B>)とし、後者を「天武天皇<乙>」(天武天皇<A>)とすると、「天武天皇<甲>」が本来の「大和王朝の天武天皇」であり、「天武天皇<乙>」が「九州王朝の天皇X」ということになる。
そして、その「九州王朝の天皇X」は「高市皇子=ウアガヤ71代」の父であるから、ウガヤ70代「かむころづてものべたけ」であるということになる。
それでは、「天武天皇<甲>」は「天智天皇の弟」であり、「皇極天皇の息子」であるのか、というと、話はそう簡単ではない。
なぜならば、『日本書紀』には「天智天皇の年齢」は載っているのに、「天武天皇の年齢」は載っていない。『日本書紀』ができた当時は天武王統であったのに――天智系の天皇は、壬申の乱以降、光仁天皇が即位するまで存在せず、完全な天智系の天皇は桓武天皇が最初であり、それが今の皇室の祖先である――その天武天皇の年齢が不記載とは、不可解である。
そのことから、井沢元彦氏が「天武天皇は天智天皇の弟ではなかった」と主張され、大和岩雄氏は「天武天皇は高向王と斉明天皇の間に生まれた子・漢皇子である」としている。
しかし、井沢氏は「天武天皇=漢皇子」であるという主張には、否定的である。なぜなら、
一、漢皇子の父「高向王」が「用明天皇の孫」と『日本書紀』に記されているが、具体的な系譜があいまいで、信憑性に欠ける。
二、森鴎外によると、「天武天皇」の名称自体が「王朝交代」を示唆するものであり、さらには「天智天皇」は「殷の紂王」の隠語である。
三、天武天皇は確かに漢皇子がモデルかもしれず、斉明天皇の子である可能性も高いが、男系では天皇家(大和王朝)とは無関係であったのではないか?(井沢元彦『逆説の日本史2古代怨霊編』)
井沢氏の主張は、もっともである。さらに、私は以下のことを指摘しておきたい。
四、古田武彦氏は「皇極天皇と斉明天皇は別人」で、「斉明天皇は九州王朝の女帝ではないのか?」と述べておられるが、私は古田氏とは別の理由から、そのことに賛同する。
五、『日本書紀』の「推古天皇紀」や「舒明天皇紀」には「十二年のズレ」がある可能性があり、「推古天皇紀」「舒明天皇紀」「皇極天皇紀」「孝徳天皇紀」の年代を「十二年」移動させると、斉明天皇の治世や「天智称制」のころの説話が、綺麗に「消える」(詳細別述、『日本書紀』の「或本」により、「天智称制」の年代にもズレがある)
六、漢皇子の事は、なぜか「皇極天皇紀」ではなく「斉明天皇紀」に記されている。舒明天皇の前に高向王と結婚した、という『日本書紀』の主張が正しければ、どうして年代的に先の「皇極天皇紀」に記されないのか?
以上の六つにより、『日本書紀』は①大和王朝の「皇極天皇」(天智天皇の母)と九州王朝の「斉明天皇」(漢皇子=天武天皇<B>の母)を「合成」し、②「天武天皇<B>」(草壁皇子の父、文武天皇の祖父)と「天武天皇<A>」(高市皇子の父、長屋王長屋親王の祖父)を「合成」した、と考えられるのである。
さらにいうと、この「人物合成」は『日本書紀』の常套手段である。
一例をあげると、神功皇后は、私は『古事記』の三韓征伐には一定の史実が反映されていると考えられるが、『日本書紀』はそこに、「本来の神功皇后説話」とは、全く無関係の①北九州平定「神話」(羽の生えた人間が登場するなど、明らかに地元の神話からの盗用と思われる)の主人公②『魏志』「倭人伝」にでてくる卑弥呼③『晋の起居注』にでてくる壱与④『百済記』にでてくる「天王」(男性、なぜか「天皇」では、ない)の、四人を合成し、「一人五役」を演じさせているのである。
また、井沢元彦氏は大友皇子が、実は「伊賀皇子」との「合成」ではないか、ということを述べている。(井沢元彦『逆説の日本史2古代怨霊編』参照)
『古事記』では、このような「人物合成」が行われた痕跡はないようである。(もっとも、系譜にはそれに近い造作が存在する)
神功皇后の場合は、『古事記』という「比較史料」があったが、天武天皇の場合はそれがないので、注意深い比定作業が必要である。
そして、『上記』時代も、ウガヤ72代と五瀬(神武天皇の兄)を「合成」してしまっている。
我々の研究は、こうした「合成」とは逆の、「分離」そして「原状回復」の作業を行わなければならない。
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