九州王朝「倭国」終末期の"王統交代"(後篇)
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ウガヤ66代「意賢皇連是」(利)は、古賀達也氏の研究から推測すると、「仁王元年(623年)」に即位し、「命長七年(646年)」か、「命長八年」つまり「常色元年(647年)」に崩御したことになる。
つまり、「仁王」「僧要」「命長」の「三十四年間」もの間、帝位にあったわけだ。
次のウガヤ67代とウガヤ68代は、それぞれ「常色」(五年間)と「白雉」(九年間)の間だけ、即位したことになる。そして、『高良記』では、ウガヤ68代「公兼皇連岩」(斉明天皇)の後は、「臣籍降下」して、その次の代は「高麻呂連時」という、明らかな「臣下名称」で系譜に記されている。
この時、九州王朝で一体、何があったのであろうか?
一方の『上記』にはどう記されているのかというと、全く何も記されていないのである。
どういうことかというと、『上記』はウガヤ55代より、今問題のウガヤ68代までの間、説話は勿論、王の名前はおろか、存在すら記していないのだ。
そして、唐突に「うがヤふきエずむそじここのよ(=69代)のひこのみこと」の話が始まるのだ。ちなみに、その直前には、ウガヤ54代の説話があり、本の巻数すら変えずに、「69代」まで飛んでしまっているのである。
つまり、ここで九州王朝には「王統交代」(「王朝交代」では、ない)が、あったのだ。
しかも、ウガヤ69代が即位した、その年代は、なんと「白鳳元年、辛酉(661年)」(『二中歴』)である!
そう、「讖緯説」における「辛酉革命」の年なのだ!!!
どうして、中国では「弾圧」すらされた「讖緯説」が、わが国では後世まで信じられたかというと、九州王朝で、実際に「辛酉の年」に「王統交代」があったから、と思われる。
当時の人は、今よりも迷信深い。「王朝交代」と「王統交代」では、意味が異なるのだが、これを「革命」を受け取ったものは、少なくなかったはずだ。
そして、この「革命」を行ったウガヤ69代とは、何者か?
そう、彼こそ、『日本書紀』に記す「筑紫君薩野痲」なのである!
その皇后は、というと、「六十六代の天津御子の尊の御子」である「たましなよろづのみこと」(玉科万尊)の娘、とされている。ウガヤ66代は、例の「三十四年間」もの間統治した「意賢皇連是」であるが、『上記』はその名を頑なに出そうとはしない。
やはり、「王統交代」があったのであろう。前王統の王者の娘を皇后にするのは、大和王朝の継体天皇を連想させる。
また、「武術に優れた姉妹」を側室とし、それがウガヤ70代の母になったというが、これは古賀達也氏のいう「大宮姫伝説」との関係が注目される。
ウガヤ68代斉明天皇の崩御の様子は、『日本書紀』に書いてある。「斉明七年八月一日」の記録であるが、「是の夕に、朝倉山の上に、鬼有りて、大笠を着て、喪の儀を臨み視る。」とあって、異様な感じの漂う文章である。
さらに、その少し前には、五月の「時の人」の発言として、「大倭の天の報い近きかな」というセリフが載せられている。
そして、七月に斉明天皇は崩御した。九州王朝の人々は、「辛酉革命の年」に起こったこの事件を、「天の報い」ととらえ、直接は血の繋がっていない薩野痲を天皇としたのである。
斉明天皇の皇子の対応は、二つに分かれた。
一つは、高麻呂連時のように、自分から臣籍降下し、高良大社の宮司として生きる生き方である。高良大社は今でも続いており、九州王朝研究の助けとなっている。
そして、もう一つが、「再起復活」を目指す者であった。その代表が、漢皇子(=大海人皇子、天武天皇<B>)である。
大海人皇子(漢皇子)は、九州王朝内の不平分子の、代表格であったと思われる。
そこで、彼が注目したのが、大和王朝の中大兄皇子(天智天皇)であった。「乙巳の変」は、645年でも、695年(九州年号「大化」元年)でもなく、「657年」(九州年号「白雉」六年)である。(「十二年後差説」による、前篇参照)
大海人皇子は、中大兄皇子の政治手腕に注目し、彼の娘を四人も自分の妻とした。
そして、当初は自分が、大和王朝の大王家の支援を受けたうえで、倭国の「天皇」になろう、と考えていたのであろう。
だが、白村江の戦いでウガヤ69代・薩野痲は一時期捕虜になったものの、再び唐の手によって復位した。
そこで、大海人皇子は計画を変更、天智を暗殺し(井沢元彦『逆説の日本史2古代怨霊編』参照)、九州王朝と唐軍の"暗黙の了解"を受けたうえで、「壬申の乱」を決行し、晴れて大和分王朝の大王となったのである。
大和王朝は九州王朝の「分、王朝」であるが、それは「神武分王朝」と「天武分王朝」の二つによって構成されていたのだ。
ウガヤ69代も、前天皇の子である大海人皇子の意見を無視するわけにはいかない。なにしろ、「革命」を気取って帝位についたものの、唐の捕虜になるという屈辱を味わったばかりなのだ。不平分子は懐柔しなければならない。
そして、大和の孝徳大王(645~654657~666)・天智天大王(668667~672)が、白村江でほとんど協力しなかったことも、薩野痲の怒りを生んでいた。
ウガヤ69代・薩野痲は、大海人皇子に「汝を『真人』そして『大和の大王』に任ずる。」と言ったのだろう。古賀達也氏の言う「人事共に賜り」である。(古賀達也「古事記序文の壬申の乱」参照)
「九州王朝の滅亡」「白村江の戦い」「壬申の乱」「大化の改新」――これらの「事件」の背景には、「九州王朝の王統交代」があったのである。
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投稿: Johne899 | 2014年6月17日 (火) 00時34分