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2016年6月 4日 (土)

懐かしいなかまたち


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久しぶりに、古くからのツイキャス仲間のCASを見に行った。

年齢的にはJKであるが、諸事があり働いている方である。

私は、この方――仮に、Hさんとしておく――が中学生のころから、ツイッターで相互フォローさせていただいていた。その頃は、まだ、中学生がツイッターをするのは、珍しい時代で、ツイキャスが広がり始めたばかりの頃であった。

あの頃、私には、ネット上で、多くの仲間ができた。

その多くは、今は、離れていった。

まだ、若かった私は、政治運動に参画して、結果、医療利権複合体のネット工作員による、ネガティブキャンペーンを受けた。

彼らは、ネットだけでなく、現実世界でも、私に危害を加えようとした。

周りは、冷たかった。手の平を返す人たちが、山ほどいた。

その時に、多くの人が、ネット上でも、離れていった。現実世界では、もっと深刻だったけれども、別に、ここではそのような恨み節は、言わない。

Hさんは、数少ない人であった――初期のフォロワーの中では、私に対する、様々なデマを、直接吹き込まれても、信じなかった、唯一の仲間であった。

ただ、感謝である。

当時の私は、感謝が、足りなかった。あの出来事は、私に、感謝を気付かせる、修行であった。


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今日は、Hさんとそのリア友の方が、一緒に、カラオケをしている模様を、ツイキャスで配信されていたようである。

残念ながら、時間的にすべては、聞けなかったが、Hさんの綺麗な歌声を聞けたのは、良かった。

「共通のフォロワー」とかいうのは、今では、ほとんど、いない。

以前、Hさんの元カレのMさんとツイッターやツイキャスで相互フォロー等をして、Hさんが私に文句を言ってきたことがあったが、そのMさんも、いまでは、アカウントを消してしまって、どこかへ消えてしまった。

アカウントを消した理由は知らないが、Mさんにも、色々な事情が、あったのだろう。

今となっては、そうしたエピソードも、懐かしい思い出。Mさんも、「懐かしい仲間」の、一人に数えられるべき方なのかも、知れない。

最近は、Hさんのツイキャスを聞く機会もなく、Hさんが私のことを覚えているかも、自身がなかった。

しかし、Hさんは、久しぶりにコメントした、私のことを、覚えていて、かなり礼儀正しく、リア友の方に、私のことを紹介していた。

中学生のころから、礼儀正しい方であった。

そういう仲がいたことに、ただ、感謝である。

Hさんの、祝福を祈らせていただく。


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私は、一時期は、私から離れていき、そして、私のことを敵視し、掌をかえすように、私の悪口を言い出す人たちのことを、恨んでいた。

しかし、そういう方がいたからこそ、Hさんのような方の、ありがたさを、学ぶことができた。

ただ、感謝である。

私に、感謝の心が足りなかったからこそ、そのような現象が、現れてきたのだ、と思う。

ネット上での裏切りは、まだ、序の口であった。

先ほど述べたように、詳しいことは書かないが、現実世界で、私が受けた仕打ち――今から思うと、大したことではないが、まだ、政治活動を始めたばかりの私には、かなり辛かった――は、今でも、夢に出る。

権力者による、陰湿な「圧力」というものが、どういうものか、よく、わかった。

彼らによる、「暴力」に近い、「圧力」は、今でも、夢に出ることが、ある。

もしも、私が、少しでも、意志の弱い人間であるならば、あるいは、自分の利益を追求する人間ならば、彼ら、権力者の「忠告」に従い、政治活動からも、社会運動からも、手を引いていただろう。

権力に睨まれると、誰も、私の言い分を、聞いてくれない。

これが、一番、辛かった。

友達すらも、私の言い分より、権力の言い分を、信じてしまう。

こうした体験から、私は、権力者の言うことは、極力、信じないようにしている。

だが、それでも、私を信じてくれる人は、いた。

友達でも、わずかながら、いたし、両親と、妹は、私のことを、ずっと、信じていてくれた。

やはり、あの事件は、感謝を学ぶ、重要な、機会だったと思う。

そして、私から離れ、私を踏み台にし、私を捨て、或いは、私を敵視した、かつての仲間のことも、もう、恨まない。

私だって、赦されて、生きてきた。私も、彼らを、赦す、義務がある。

そして、心から、感謝しないと、いけない。

感謝の大切さを、教えてくれたのだから。


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政治活動は、権力による弾圧と、隣り合わせ、である。

一番、酷いのは、国策捜査による不当逮捕だが、そこまでいかなくとも、理不尽な目に合うことは、日常茶判事だ。

しかし、それでも、成功は、するものだ。

私の活動は、もしも、神意にかなっているならば、必ず、いくら、時間がかかっても、成功するはずだ。

様々な、圧力を受けても、それに、感謝して、自己の魂を成長させる、それが、必要なのだと、思う。

懐かしいなかまたちの内、私から離れていった、彼らは、私の未熟さのせいで、振り回された、被害者としての、側面も持っているだろう。

その点は、申し訳ない。

そして、ただ、感謝である。

皆さん――特に両親――本当に、ありがとうございます!!


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