岡正章さんとそのシンパの皆様に聴きたい!
かつて生長の家青年会の機関誌であった『理想世界』の元編集長・岡正章氏の文章が、最近、おかしい。
以前から、彼の発言には疑問を感じており、質問状を送ったこともあったが、皆目無視されているので、このブログに感想を書かせていただく。
岡氏のHP「みすまるの珠」に、こういう文章が掲載されていた。
「立憲主義とは Constitutionalism の邦訳語で、Constitutiion は constitute ――構成する、形成するという動詞の名詞化。構成、成り立ち、つまり国体(国がら、国のありよう)のことである。国体(国のありよう、Constitution)を明文化したものが憲法 Constitution でなければならない。「立憲主義」 と 「国体尊重」 とは、本来同義である。」
「天皇主権でも国民主権でもない「君民同治」が日本の不文憲法である」
「現行憲法は、日本国三千年(少なくとも2000年以上)の歴史の中で、たった一度の敗戦、占領下に置かれたという70年前の異常な状態の中で、他国の占領軍の作った占領基本法ともいうべき英文草案を押しつけられ翻訳して作られた、わが国本来の Constitution (国体・憲法) とは言えないものである。」
これは、全くの、正論である。
天皇主権も、国民主権も、立憲主義に反する暴論であり、その意味で『日本国憲法』はconstitutionではありえず、一種の講和条約としての範囲内においてのみ、有効である、と、私は、繰り返し主張してきた。
もっとも、「日本国三千年」というと、今の日本は皇暦2676年であることからして、あまりにも誇大な数値ではないか、という突込みもあるかもしれないが、これは、生高連の歌の「神武建国三千年」に由来する表記であると、思われる。実証史学的なことは置いておくと、こういう文章にも、生高連の歌に基づいた表現が、自然に出てくる岡氏には、信仰者の一人として、好感すら抱く。
ところが、その彼が、最近、「迷いに「ハイ」と中心帰一してはならない」と文章を、掲載している。
これは、岡氏らしからぬ、「裏」のある文章ではないか、少なくとも、「文脈」からすると、岡氏が総裁に対して、かなり否定的な感情を持っているように、思われる。
例えば、昨日更新の記事には、このように記されている。
310 迷いに「ハイ」と中心帰一してはならない(5)
実相の生長の家総裁は、神である。
神なる生長の家総裁が、神の国日本を貶め、神の国日本を覆いくらます現行日本国ニセ憲法を尊重するようなことを言われる筈はないのである。
神なる生長の家総裁は、神の国である実相日本は未だかつて敗戦したことなく、したがって占領憲法を押しつけられたこともない、と説かれるのである。
実相日本の最初の成文憲法であり、今も生きている神の国日本の憲法と言うべきは、天孫降臨の御神勅――
≪「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の国は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。
爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。
寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壤(あめつち)と窮(きわ)まりなかるべし。≫
と天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天孫(てんそん)瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に授けられた御神勅である。
日本国は、この御神勅をもとに肇(はじ)まった不滅の国、世界の平和と繁栄の鍵を握る国であることを、神なる(実相の)生長の家総裁は説き続けておられるのである。
私はその 神なる実相の 『生長の家』 総裁のみ声に耳を傾け、神なる生長の家総裁のみこころに、中心帰一して生きることを誓うものである。
<つづく>
(2016.8.30)
如何にも、政治文書のような雰囲気すら漂う、含みのある、文章である。
ある命題には、「逆」「裏」「対偶」とが、存在する。
数学的に考えると、仮にその命題が真であるとして、その命題の「逆」や「裏」までもが、真である、という保証は、存在しない。だが、人々は、往々にして、表に発表された命題そのものでは、なく、その「裏」の命題を「真」とみなす、そういう傾向がある。
では、岡氏が発表した上記の文章を、「表の命題」とすると、その「裏の命題」とは、なんであろうか?
「神なる生長の家総裁が、神の国日本を貶め、神の国日本を覆いくらます現行日本国ニセ憲法を尊重するようなことを言われる筈はないのである。」
これを裏返すと、こうなる。
「現象の生長の家総裁が、神の国日本を貶め、神の国日本を覆いくらます現行日本国ニセ憲法を尊重するようなことを言われているのである。」
無論、谷口雅宣先生は、「神の国日本を貶め、神の国日本を覆いくらます」ような言動など、一切、していない。
そもそも、総裁先生は、ブログにおいて「自主憲法を制定すればよいと思います」とも、述べている。
「裏の命題」は、偽、であった。
次に、これを見てみよう。
「神なる生長の家総裁は、神の国である実相日本は未だかつて敗戦したことなく、したがって占領憲法を押しつけられたこともない、と説かれるのである。」
この文章を裏返すと、こうなる。
「現象の生長の家総裁は、神の国である実相日本は未だかつて敗戦したことなく、したがって占領憲法を押しつけられたこともない、と説いていないのである。」
この「命題」の真偽を検証する前に、指摘しておきたい部分がある。
「神の国である実相日本は未だかつて敗戦したことなく、したがって占領憲法を押しつけられたこともない」
この、文章は、おかしくないだろうか??
岡氏に聞きたいのであるが、神の国には、「憲法」というものは、存在するのであろうか?
私は、「憲法」は確かに大切なものではあるが、所詮、現象の話だと、思っていた。
失礼ながら、岡氏は、憲法の話に熱中するあまり、実相と現象を混合してしまったのでは、ないだろうか?
さて、岡正章氏と言えば、「戦争参加法制」が日本を守るための法律である、という安倍政権のデマを信じていた人物である。
いや、聡明な岡氏が、そんなデマを信じていたわけが、ない。というか、そう信じたくは、ない。きっと、深い理由――生長の家原理主義勢力に義理立てする、等――が、あったのであろう。
そう思っていたら、ある掲示板において、岡氏の支援者による書き込みが、存在していた。
3077 :「訊」:2016/08/31(水) 15:10:07 ID:6WhkfRdw
<生政連の活動再開を反対した私>
そのやり取りは、記憶にナイのですがもしも、当方が何か「生政連活動へ疑問を呈した」とするならば、理由はシンプルです。それは、「雅春先生を無視して暴走してるから」ってなもん。
ですんでもしも、生政連が「雅春先生の御教えそのままの〝原理主義者〟の集まり」なのであれば、私は大賛成ですし、参加したいくらいです。そんな意味になりますかね。なお、敢えて原理主義者に〝〟を付けた理由ですが、それは現在、「生長の家関係に原理主義者はイナイ」ってな意味になります。そもそも、ですが「原理主義者」ってのは「雅春先生の教えそのままに生きておられる方々」って事でしょう。ならば、本流派が原理主義者なワケ、ないですよね(彼等は和解不要!とかホザいてます。これ、原理主義者にはあるまじき行為w)・・・・・・・・原理主義って言葉に注視して話をつづけますが、まあ、私が知る限り原理主義者を名乗っても良い方は、周囲の白鳩さんや交流のある教団関係の信徒さん、加えて、大熊先生やトキさん、そして岡先生になりましょうかね。
これらの方々は本当に、雅春先生の御教えそのままに生きておられます。これらの方々こそが「本当の意味での原理主義者」なのであって、和解は不要!なんて集団を原理主義者と呼称するのは、言葉の誤用だと思います・・・・・・・・・・ってかなり、話が逸れましたね。
で、話を戻しますがその、生政連ですけども原理主義なんでしょうか。雅春先生の教えとは、「もう、全然違う方向に暴走してた集団」くらいにしか、私には理解できないんですが。
拜
3079 :神の子さん:2016/08/31(水) 15:37:46 ID:WAYoSLQ6
>>3077
以下の書き込みを、私が「生政連活動再開への反対」とあると解釈したことが、間違いであるならば謝罪・訂正します。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1308876271/2350
>もしも、生政連が「雅春先生の御教えそのままの〝原理主義者〟の集まり」なのであれば、私は大賛成ですし、参加したいくらいです。そんな意味になりますかね。なお、敢えて原理主義者に〝〟を付けた理由ですが、それは現在、「生長の家関係に原理主義者はイナイ」ってな意味になります。そもそも、ですが「原理主義者」ってのは「雅春先生の教えそのままに生きておられる方々」って事でしょう。ならば、本流派が原理主義者なワケ、ないですよね(彼等は和解不要!とかホザいてます。これ、原理主義者にはあるまじき行為w)・・・・・・・・原理主義って言葉に注視して話をつづけますが、まあ、私が知る限り原理主義者を名乗っても良い方は、周囲の白鳩さんや交流のある教団関係の信徒さん、加えて、大熊先生やトキさん、そして岡先生になりましょうかね。<
こういう意味でしたら、納得できます。教団派・本流派はともに和解をし、その下で、大熊先生、岡先生、訊け様の三人が主導して生政連活動を再開していただきたいですね。そうすれば、日本国実相顕現にも近づくでしょうから。
ここで、「訊」なる人物が、岡正章氏を「雅春先生の御教えそのままの〝原理主義者〟」とたたえ、「神の子さん」という匿名ユーザーが「大熊先生、岡先生、訊け様の三人が主導して生政連活動を再開していただきたい」と、「同意」を表している。
自称・本流派が、宗教学的な意味で原理主義に該当するか、否か、については、異論もあるであろうが、ここで、彼らが、岡正章氏を「雅春先生の御教えそのまま」と評価していることには、仰天した。
二人の大聖師の御教えの法灯を継承された方は、ただ一人、谷口雅宣先生しか、いない。これは、絶対的な真理である。
雅春先生の御教えは、文字には完全に表すことができない、宏遠なものであり、その御教えを「そのまま」の形で継承できるのは、生前の大聖師から大法を「面授」された者、だけである。
ましてや、岡氏や大熊先生が、一緒になって生政連活動を再開するなど、妄想もいいところ。私は「いのちを守る親の会」の会員であるが、大熊先生にそのような野心など、皆無である。
岡氏やそのシンパの方は、一体、生長の家の御教えの真髄が何か、という問題に対する、答えを持っているのであろうか?
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