法の精神について
モンテスキューの理論の優れた点は、民主主義では国民は自由にならない、ということを、直感的に鋭く把握したことである。
より具体的に言うと、例えば、選挙で立法院(国会議員)を選出し、その立法機関の一部が行政権を行い、さらに、行政が裁判官を任命するとなると、三権分立というのは形骸化し、そこには、自由はない。・・・・今の日本を言っているようだが、モンテスキューの分析は、そこにとどまらない。
①共和政の内、民主政国家は「平等への愛」が失われると、腐敗する、とする。
つまり、モンテスキューの描く共和制国家は、共産主義社会に近いものであるが、モンテスキューは決してそれを理想としているわけではなく、彼が言いたいことは、民主政ほど腐敗しやすい制度はない、ということだ。
その一例として、クロムウェルによるピューリタン革命を挙げる。彼は、民主政を目指した結果、イギリスを独裁国家にした。
②専制は、初めから腐敗している。その例として、中国の例を挙げる。
モンテスキューの面白いところは、ならば、どうして中国は必ず腐敗する運命である専制を採用しているか、というと、その理由は、専制でしか統治しえない中国の風土にある、というのだが、この辺りは、割愛する。
③そこで、モンテスキューが理想とするのが、君主政であるが、彼は君主政は「名誉」がなければ腐敗する、と説く。
そして、議会は人民の選挙で選ばれた議会と、貴族による議会の二院制が理想である、と主張する。行政権は国王に委任される。
④さらに、モンテスキューはそうした君主政国家の司法権については、今の裁判員制度に近い制度を提案している。ただし、その条件として、「裁判官はその文言の一言一句すらも細かく法に規定されているほど、厳格に法によって判決を出すことが定められている」状態でなければならない、とするのだ。
⑤民主政が最終的に「一人による専制」か「万民による専制」になる、と説いたモンテスキューの理論は、今も色あせてはいないだろう。
⑥法を厳しくしすぎると、国民が法を破ることに抵抗がなくなり、法が無意味になる、というのが、モンテスキューの持論。
今の日本にも当てはまりそうである。
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