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2016年10月17日 (月)

辛亥の変の真実――書記編年の謎と九州王朝


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継体天皇については、様々な謎がある。『日本書紀』によると彼は磐井の乱のときの天皇であり、九州王朝説論者の一人である私からすると、継体天皇の謎を解明せずして古代史の謎は解けないと思っていた。

ところが、だ。この継体天皇は「何時から何時までの間、大和を支配していたか?」が、不明なのである。

『日本書紀』によると、武烈天皇の崩御後、継体天皇は近江で即位し、即位後20年にしてやっと大和に入った。ところが、即位後7年で大和入りしたという異伝も紹介されている。

さらに、いつ継体天皇が無くなったか、だが、『日本書紀』によると531年に崩御したらしい。もっとも、それは『百済本記』という朝鮮半島の史書の内容を出典としたもので、日本の国内史料では534年に崩御したと記されており、『日本書紀』の作者も「構成の人間の判断にゆだねる」と「両論併記」している。さらにさらに、次の代の安閑天皇は534年に即位したのだが、病床の継体天皇から崩御の直前に譲位を受けたという記述があるので、やはり531年説はおかしい、534年なのではないか、と思われる。

ところが、『古事記』によると継体天皇は527年に崩御したとある。『日本書紀』に記されたどの説とも異なるわけだ。一方、安閑天皇については『日本書紀』も『古事記』も535年に崩御したと記しており、矛盾はない。

では、531年説を記した『百済本記』だが、そこには「日本天皇・太子・皇子」の三人が同時に亡くなったと書かれてある。いわゆる「辛亥の変」だが、そんな話は『古事記』にも『日本書紀』にも記されていない。

また、継体天皇が無くなった年齢は、『古事記』では43歳で『日本書紀』では82歳である。

こうしてみると、あまりにも謎が多すぎる感じだ。では、この謎をどのように説くべきであろうか?


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まず、カギとなるのは「倍数年暦」である。これについては、古田武彦先生が『「邪馬台国」はなかった』で提唱されたが、『古事記』や『日本書紀』でも百歳を超える天皇がたくさん出てくる以上、当時倍数年暦が使用されていたのは疑いようがない。『古事記』では雄略天皇が約160歳で崩御したとあるので、5世紀から6世紀にかけても倍数年暦が使用されていたとみられる。

そうすると、『日本書紀』での継体天皇の崩御年齢である82歳は、倍数年暦での表示である、と解釈すべきであろう。半分にすると41歳で『古事記』の記述に近くなる。

ならば、『日本書紀』の編年は倍数年暦によって記述されていることとなり、一気にその信憑性を失う。『日本書紀』では531年に継体天皇は82歳で崩御したとするが、仮に『日本書紀』「継体紀」の異伝や「安閑紀」の内容を正しいとすると、534年に85歳で崩御したことになる。85歳を半分にすると、数え年の場合は43歳になるから『古事記』の記述に一致する。

『日本書紀』の「異伝」である「或る本」の内容は、倍数年暦の内容に無理矢理干支を当てはめた結果、『古事記』とは異なる編年になった可能性がある。すると、その「或る本」の編年とリンクしている「安閑紀」の内容もその編年については保留する必要がある。

というわけで、ここでは『日本書紀』ではなく『古事記』の編年が正しい、と仮定してみよう。

継体天皇は527年に43歳で崩御した。倍数年暦では85歳であった。その次に即位した安閑天皇は535年に崩御した。『日本書紀』では70歳での崩御と記されているが、これも倍数年暦であろう。実際には35歳で崩御したことになる。

そうすると、継体天皇が大和入りした年代がいつかも、わかる。即位後7年である。

7年を倍数年暦に直すと14年である。さらに、崩御年齢について『古事記』と『日本書紀』に引用された「或る本」では7年の差があるから、それを加えると21年だ。これは編年の際のミスである。

また、それでは継体天皇がいつ即位したか、だが、「或る本」では継体28年に崩御した、その28年は甲寅(534年)である、と記されているわけだから、この「28年」の数字も倍数年暦である。実際に在位していたのは14年だ。

そうすると、527年に崩御したわけだから、513年に即位したことになる。そして、即位後7年目、つまり519年に大和入りしたわけだ。


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継体天皇を語る際に、避けて通れないのが磐井の乱である。古田武彦先生は磐井の乱自体がなかったといわれているが、私からすると大和王朝側が磐井の乱の記事を造作する動機が分からない。

『古事記』に至っては、「継体記」にはほとんど事件の掲載がない中での磐井の乱の記事である。やはり、九州王朝と大和王朝との戦乱自体は、継体天皇の時に存在したと考えるのが妥当だろう。

そうすると、継体天皇が崩御したのは527年だから、その直前で九州王朝の年号が変わった時期はないのか、を調べてみる必要がある。我が国における南北朝時代のような例外を除くと、一般に王者の交代と年号の変更はほぼリンクしているからだ。

それでは、527年の直前の、九州王朝の年号変更は何年のことであろうか?――正和元年、ちょうど、前年の526年だ。

年表にすると、こうなる。

513年 継体天皇、即位。

517年 九州王朝、年号開始。「継体」

519年 継体天皇、大和入り。磐余に玉穂宮。

522年 九州王朝、「善記」に改元。

526年 磐井の乱。九州王朝の王者の磐井が殺され、葛子即位。「正和」に改元。

527年 継体天皇、崩御。防御直前に安閑天皇に譲位。

531年 辛亥の変?(「日本天皇、太子、皇子」が共に崩ずる?)

535年 安閑天皇、崩御。


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ここで、大和の継体天皇と同時期の九州王朝の年号に「継体」とあることに注目したい。

無論、私の編年でも、定説通りの編年でも、継体天皇の即位年と九州年号「継体」の元年とは一致しないから、この両者は全く無関係である。当然のことながら、後世の造作でもない。(仮に後世の造作であれば、継体天皇の即位年と一致させるはずだが517年に継体天皇が即位したという説は皆無である。)

そうすると、継体天皇と九州年号「継体」は直接的には無関係、ということになるが、まさか「偶然の一致」でもないだろう。継体天皇というのは後世に贈られた諡号であることを考えると、これは九州年号「継体」の時期に活躍した大和の大王だから継体天皇、と考えるのが適当である。

従って、「継体天皇」の諡号から「王朝交代の痕跡」を読み取るのは考えすぎであると思われる。

あの平将門も桓武天皇の五世の孫であったことを考えれば、近江の豪族であった継体天皇が応神天皇の五世の孫であったとしても、何等不思議ではない。むしろ、継体天皇が応神天皇の五世の孫ではない、というほうに証明責任があるのではないだろうか?


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いよいよ本稿の主題である「辛亥の変」に入る。問題となるのは『百済本記』の次の記事だ。

「太歳辛亥(531年)三月、軍進みて安羅に至り、乞屯城を営る。是月、高麗、其の王安を弑す。又聞く、日本天皇及び太子・皇子、倶に崩薨ず」

過去に古田先生は『失われた九州王朝』において「磐井の乱531年説」を唱え、これが侵害の変の真相であるとしたが、古田先生自身がこの説を撤回したうえに、上記の結論からこれはありえない。

ここで重要なのは、この記事の主題は「軍進みて安羅に至り、乞屯城を営る」であり、その主語は「百済」だ。そして、同じころに「高麗、其の王安を弑す。」という事件があった、と『百済本記』の編者が記しているのである。

問題の「又聞く、日本天皇及び太子・皇子、倶に崩薨ず」は、その「ついで」に書かれたものに過ぎない。たまたま近い時期に「高句麗王の暗殺事件」があったから、同年代に「日本国内での事件」を挿入しただけ、という解釈もできる。

さらに言うと、記事自体が伝聞調である。ある程度の誤伝の可能性もある。

もっとも、「天皇・太子・皇子」の三者の死が伝わるというのは、「根も葉もない噂」というわけではないだろう。ならば、日本の歴史書に同様の事件の痕跡が残っているはずだ。

なお、これが九州王朝のことであれば「伝聞調」なのはおかしい。百済にとって九州王朝でこれだけの大事件があれば、「又云う」という「ついでに書いた」扱いではなく、きちんと本文中に明記するはずだ。

ならば、ここでいう「日本」とは大和王朝のことだ。それ以外、該当すべき王朝はない。

というわけで、大和王朝の前後の天皇を見てみよう。繰り返すが、この『百済本記』の記事の体裁からして、本当に531年かも断言できないので、この記事を根拠に編年をいじる訳にはいかない。

そうしてみると、問題となるのは527年の継体天皇と535年の安閑天皇だが、継体天皇の記事にはそのような変事が起きた痕跡はない。彼は病床にて一人で死んでいる。

いくらなんでも「大王一人の病死」と「子供二人以上(太子・皇子)を巻き添えにした大王の変死」とを混同するバカはいないだろう。

そうすると、問題になるのは安閑天皇だ。果たして、彼にはそのような痕跡は存在するのであろうか?――あった。

安閑天皇は535年の12月17日に、70歳(実際には35歳)で崩御された後、「是の月」に皇后の春日山田皇女と妹の神前皇女の二人と、三人で合葬されている。

これは、異常な事態だ。まず、「是の月」に葬ること自体が、おかしい。古代においては天皇が崩御すると必ず、何カ月にも渡って殯の期間がある。

否、今の日本においても今年の夏の今上天皇陛下の譲位の玉音・御真影放送において、譲位を行う理由の一つとして天皇が崩御すると数カ月にわたって殯の儀式を行う必要があることを述べられていた。古代においては数年間にわたった例もある。

安閑天皇の前の継体天皇は、『日本書紀』によると2月に崩御して12月まで殯が続き、やっと葬られたとある。その次の宣化天皇も同様だ。

しかも、安閑天皇は『日本書紀』史上、初めて合葬された天皇である。その次の宣化天皇の場合は皇后と夭逝した皇子と一緒に合葬されているが、彼の場合は一年近い殯の期間があった。しかし、安閑天皇は違う。

安閑天皇は、①史上初めて合葬され②殯の期間が13日以内と極めて短く③その短期間に皇后や妹と合葬されている、という異例の事態が3つもそろっている。これは、何かがあったと考えない方がおかしい。

平子鐸嶺氏は宣化天皇が皇后と夭逝した皇子と一緒に合葬されていることを根拠に、これが誤伝されたものが辛亥の変の正体であろうとした。私もこの平子説に触発されて今回の説を思いついたのであるが、宣化天皇の場合は合葬と言っても安閑天皇の先例に倣っただけの可能性もあるし、安閑天皇のように短期間で合葬が行われたわけでは、ない。

そもそも、どうして安閑天皇は「史上初の合葬」が極めて短期間で行われたのであろうか?――もっともあり得る可能性は、皇后・皇妹と一緒に天皇も崩御したからだ。

つまり、535年に一大政変が起きて安閑天皇は妻や妹と一緒に殺害された、それが百済にも伝わって例の『百済本記』の記事になった――と、いうことだ。


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『日本書紀』の「安閑紀」の内容は、かなり造作の手が入っている。

『日本書紀』の原典となった「或る本」の影響からか、534年から535年の間に安閑天皇の事績が集中している。しかも、その多くが「屯倉」関連記事だ。

安閑天皇の記事のかなりは「圧縮」され、そして「削除」され、また「造作」されたであろう。一部には、九州王朝記事からの「盗用」もあったかもしれない。

だから、安閑天皇とその皇后・妹の殺害に関する事件も、削除されてしまったのだ。

どうして安閑天皇に関する記事にそれだけ造作の手に入ったのか、については、恐らく天皇家に都合の悪い情報があったからだ。

それでは一体、何があったのだろうか?

ヒントとなるべきものが、前後の天皇の記事にあるような気がする。

継体天皇の晩年には磐井の乱があった。

宣化天皇は即位の際、蘇我稲目を大臣に任命した。さりげなく書かれている者の、これが蘇我稲目の初出記事であり、後世の蘇我氏の台頭の第一歩である。

その間の安閑天皇の時代に何があったのか、については別に発表したい。

日野智貴の5つの誓い

一、全ての人間を神の子として祝福礼拝し、縁ある皆様に法愛の精神で接して周囲を和顔愛語讃嘆で満たします。

二、「尊皇愛国・自然共生・生命尊重」を一体のものとして把握し、現代社会の喫緊の課題である地球環境問題に取り組みます。

三、生長の家総裁に中心帰一して人類光明化運動・国際平和信仰運動を通した日本国実相顕現に邁進します。

四、若者・学生・生徒・労働者・胎児・障碍者・薬害被害者の「いのち」と「権利」を断固擁護します。

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