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2016年10月12日 (水)

神の子を「表現する」ということ


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神の子を「表現する」とはどういうことなのか、青年会のとある先輩が次のような文章を秘密グループに記されています。

僕にはこれまで、神の子として何かしなければならないという焦りみたいなものがありました。

でも、今日、機関誌の総裁先生の質疑応答集の中で、中学生の子が「神の子を実現する」 という言葉を使っていたことに対して「実現」と「表現」の違いを指摘されて、「「表現」というものは、一つずつ順序を追って、段階的に多面的に何ごとかが表れることです。

これに対して「実現」とは、その何ごとかの「そのもの」が一挙に現れることです。」と説かれて、「生長の家では、人間は神の子だと教えています。神の子の本性は無限なのです。無限なるもの現象的には実現できない。しかし、表現することはできる。その過程が私たちの人生です。実相そのものは、制約がない状態です。しかし、制約がなければ表現はできません。だから、表現のためには、制約の中に

無限の表現が逐次的、段階的に現れてくることが必要で、そういう現象世界を神様が私たちに与えてくださったのです」という御文章を読み、「僕は実相世界ではすでに完全円満な神

の子で、現象世界に神の子を実現するんじゃなくて表現していけばいいんだ」と、これまで気負っていたものがなくなり、大笑いはありませんでしたが、自然な喜びが湧いてきました。

和顔愛語賛嘆も、愛行も、ノーミートも、神の子の修行ではなく、表現なんだと思いました。

これからも神の子を現象世界に表現していきたいです。みなさんあらためてよろしくお願いします(*^^*)

とても分かり易い解説なので、ここに紹介させていただきました。

私も総裁先生の『観世音菩薩賛歌』で同様のことを学び救われた人間です。

神の子を表現できるよう頑張りたいと思います。ありがとうございます。


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