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2016年11月10日 (木)

もしも「民主主義」が「デモクラシー」の訳語ではなく、「国民主権主義」の略語であるならば、私は断固反対だ。


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生長の家が安倍政権への不支持を表明した際、「民主的に選ばれた安倍政権を支持しないのは、民主主義の否定と同じ」等というバカがいた。

すまんが、私は菅直人が民主的に総理に選ばれて以来、民主主義というものを信用していない。

そもそも、デモクラシーは「神権政治」の対義語なのだから、「民権政治」と訳するのが正しい。もしも「民主主義」が「デモクラシー」の訳語ではなく、「国民主権主義」の略語であるならば、私は断固反対だ。


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念のために言っておくと、私が「国民主権」を否定しているからと言って、「天皇主権」を支持しているわけでは、ない。

というよりも、肉体の人間に「主権」等という絶対的な権限を認める思想そのものが有害だと思っている。「主権」というのは近代的な国家権力(絶対権力)を肯定するための論理である。

これが、一種の宗教として存在するのであれば、良い。例えば、生長の家においては「自己内在の神」が「善一元なる宇宙の大生命」と一体であると説いている。そういう宗教的な信念として「絶対的なもの」を認めるのは、全く問題はない。

問題は、政治の場において「絶対的なもの」を「仮定」することである。

生長の家でも「人間は本来、神の子である」とは説くが、「肉体の人間がそのまま神である」とは、決して説かない。肉体の人間は過ちを犯すこともある。

ところが、「主権論」においては、その過ちを犯す肉体人間に絶対的な権力を認める。

そもそも、近代絶対権力というのは「政府――個人」という直接の関係が大前提にある。個人が直接、政府に相対して、憲法も個人と政府の契約であるとみなされる。

だが、実際には、人間は国家を本能的に築く一方で、家庭をも本能的に築く。また、宗教を始め非国家的な共同体も存在する。

近代国家権力は、いわゆる「任意団体」に差別的な扱いをしていることでもわかるように、国家の支配に属さない組織に対して冷たい。


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近代国家権力が、いわば「主権論」的な絶対権力を保有するようになったのは、思想的には絶対王政期の王権神授説がきっかけである。政治的には、ブルジョワ階級と王権の関係等、色々と検討すべき問題もあるであろう。

実際には、絶対王政の程度には各国や君主の性格による違いもあった。イギリスのヘンリ8世は、その絶対的な王権を利用して議会を作ったほどだ。

だが、ヘンリー8世は一方で、離婚をするために新しい教会を創ったり、無茶苦茶な理由で王妃を殺したりした。

これが、近代国家権力の恐ろしさである。近代国家権力を握ると、国民の生命はおろか、宗教まで思いのまま。これが、近代国家の本質だ。

メアリー女王はイギリス国教会に逆らうピューリタンを大虐殺した。イギリス国教会自体が、ヘンリー8世が創った宗教に過ぎないのであるが、それが「絶対」であり、その前には人命など軽いもの、という考えがあったのだ。

それは、専制政体の話である、共和政体は違う、思う人がいるかもしれないが、それは違う。

現に、ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺は、近代国家だからこそできたことだ。ユダヤ人迫害は中世からあったが、中世の権力者はあそこまでの大虐殺はしなかった。

ナチスだけが例外というわけでは、ない。

ジャコバン派の革命も、そうである。フランス革命の際、ジャコバン派が「民主的」に恐怖政治を行ったことは、少しでも歴史を学ぶものなら百も承知のはずだ。

吾々は、近代国家の枠組みそのものを疑う必要がある。


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