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2016年12月30日 (金)

「生長の家総裁の法灯」とは住吉大神の御教えの具現である


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人類光明化運動の不動の中心は、

「生長の家の大神――総裁・副総裁――御教え」

で、ある。

これは、谷口雅春先生と、谷口清超先生の共著『菩薩は何を為すべきか?』で書かれてある。

当時の総裁谷口雅春先生であり、当時の副総裁谷口清超先生である。

従って、ここで、わざわざ

「総裁・副総裁」

と、対等に記したのは、

谷口雅春先生と谷口清超先生は同じ働きをされている

という意味に他ならないのである。

生長の家の大神というのは、第一義の神――唯一絶対真の意味で用いる場合もあるが、生長の家の人類光明化運動においては、特に住吉大神(第二義の神)の働きを指すことが多い。

生長の家の人類光明化運動の究極の目的は、高天原を地上に顕現することであり、この地をこのまま浄土とすることであり、人類をエデンの園に住むありのままの状態に戻すことであり、愛と平和と秩序と中心帰一の真理に満ちた実相世界を現象に表現することである。

そして、これこそが神武肇国の以来の我が国の使命であり、日本国実相顕現ということである。

その日本国実相顕現のための宇宙浄化の働きをするのが住吉大神なのであって、

住吉大神の働き地上に顕現する運動人類光明化運動

なのである。


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従って、人類光明化運動の「不動の中心」として

「生長の家の大神――総裁・副総裁――御教え」

が存在する、ということは、

住吉大神の御教え=「総裁・副総裁」の法灯

である、ということを示している。

生長の家の副総裁は、総裁より「大法」を面授された者が就任する。

では、「大法」とは何ぞや?という疑問を持たれる方もあるかも、知れない。

生長の家の総裁の法灯とは、皇位の継承における「天皇霊」にも匹敵する存在であり、「大法の面授」とは天皇を天皇霊と一体化させる「大嘗会」にも比すべき重要性を持っている。

ここで重要なことは、大法とは個人の悟りによって得られる真理ではなく、「人類光明化運動の不動の中心」に処を得たものが享ける境地である。「人類光明化運動の不動の中心」たりえないものが、この「大法」を得ることは「処を得ていない」のである。

「大法」を授かった者のみが、「人類光明化運動の不動の中心」になり得るし、ならなければならない。何故ならば、彼以外に住吉大神の御教えを「処を得た」形で、地上に表現できるものはいないからである。

神想観によっていくら悟りを深めても、それで「人類光明化運動の不動の中心」になることは、できない。人間はそれぞれ別々の使命があるのであり、生長の家の総裁のみが「人類光明化運動の不動の中心」としての使命を有している。

人間は、悟りが深まると、自ずから「処を得た」動きをするようになる。

「私の方が、総裁よりも悟りは深いはずなのに、どうして私が総裁にはなれないのだ?」と思う者は、まだまだ悟りの浅い人間である。それは、いくら優秀な検察官であっても裁判官を兼務はできないし、兼務してはならないのと一緒である。

もしも、「私はあの裁判官よりも優秀なのだから、私が検察官の仕事も裁判官の仕事も兼務すべきだ!」等という検察官がいたら、彼は真に優秀な検察官ではない。それは、権力分立の観点から「処を得ていない」から問題なのである。

神想観によって悟りを深めても生長の家の総裁になれないのは、如何に神道を極めても臣民が天皇になることはできないのと同様の厳然とした論理なのだ。


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生長の家の運動とは、個人崇拝の運動ではない。

誤解のないように言うと、我々の運動は、決して「谷口雅春先生・谷口清超先生・谷口雅宣先生」の歴代総裁を「崇拝」する運動では、ないのである。

また、「総裁先生に中心帰一せよ」とは、総裁先生の悟りが最も素晴らしいからそれに従う、という意味では無いのだ。

ただ、谷口雅宣先生が人類光明化運動の中心にいるということが、最も処を得ている状態なのである。

それ以外に人類光明化運動の中心は、存在しえないのだ。

無論、これは現象だから、総裁先生のいうことを我々が理解できないことも、あるだろう。

それは、我々信徒の悟りのレベルが浅いからかもしれないし、もしかすると、総裁先生が肉体においては判断ミスをされるかもしれない。(総裁は超能力者ではないのだから、肉体智以上の能力を持っていないとしても驚くべきことではない。)

だが、一つだけ確実に言えることは、だからと言って、別の人間が総裁にとって代わろうとすると、それは我の心によって引き起こされる迷いの働きである、ということである。

総裁先生の言葉を理解できない場合、或いは、総裁先生を中心としているのに運動が失敗しているかのような現象が顕われている場合には、ただ、実相世界を見ればよい。

現象に不完全な姿が顕われているのは、当然である。現象を見るからこそ、迷うのである。実相世界を見ずして、実相顕現ができると思ってはならない。

谷口雅宣先生は、谷口雅春先生や谷口清超先生と同じ働きをされている。

我々は、それに感謝し、中心帰一して人類光明化運動に励めばよいのである。


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コメント

合掌

ありがとうございます。おかげで洗脳が冷めました。

私は、谷口雅宣先生が雅春先生の聖典を絶版にしたことに疑問を持ち、学ぶ会に入会しました。
本流掲示板を見ると今の総裁は共産党支持者である、教団は共産党を支持するようになった、と聴き、今の総裁はとんでもない人間であると思っていました。

しかし、貴康先生のことを悪く言う言葉が本流掲示板に掲載されているのを見て、学ぶ会の方針に少し疑問を持っていました。
「生長の家に裁判の言葉はない」という恵美子先生の言葉を引用しながら裁判を行う、これが本当に雅春先生の教えなのだろうか?
その思いから、10月に退会しました。

日野さんのブログは、『古事記と現代の預言』で検索して見つけました。
これまで教団は左翼唯物論であると聞いていたのに、愛国の教典の解釈を言う青年がいるとは驚きでした。
今回の日野さんの記事を読んで、迷いが冷めました。

現象の総裁を見て、それに不満を言うのは生長の家の生き方ではありませんね。
学ぶ会は、総裁の悪口を言うばかりで、処を得ていないから問題なのだと気付きました。
私は、来年から教団に戻ります。
大みそかに日野さんの記事を読ませていただいたことを、有難く思います。
ありがとうございます!

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