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2017年1月31日 (火)

父母への感謝


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幼いころ、私は生長の家の地方講師である母に甘えて、常に離れずにいた。

母は、母方の祖父母の家の仏間で毎日のように『聖経甘露の法雨』を読誦されていた。

私が先祖供養を行う際は、『甘露の法雨』や『天使の言葉』『観世音菩薩賛歌』の本文だけの場合が多い。というか、ほとんどがそうだ。

しかし、母は『七つの灯台の点灯者の神示』から読誦されていた。

そこには、「皇恩に感謝せよ。汝の父母に感謝せしょ。汝の夫又は妻に感謝せよ。・・・・」と、書かれている。

「ママ、こうおん、って、何?」

そう聴いた私に、母は優しく、

「天皇陛下の事やで。」

と答えられた記憶が残っている。

「汝らの兄弟のうち、もっとも大なるものは汝の父母である。」

「神に感謝しても、父母に感謝しえない者は神の心に適わぬ。」

このフレーズも、繰り返し聴いてきた。

だが、愚かな私は、親への感謝を忘れることも、しばしば、であった。

高校2年生の頃の宇治の一般練成会で私が救われたのは、浄心行でそのことに気付いたからであった。


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「親への感謝は一生の課題」

そう言われたことも、ある。

父母に感謝することには、限りがない。

「ここまで感謝したから、もうこれで充分」

ということには、ならないのだ。

宇治の練成会で出会ったある女性の方が、こう言われた。

「私は、母親になって初めて両親の恩が分かりました。」

その方は、帰る際に、

「これまでの私はまだまだでした。今回の浄心行で、やっと両親への感謝が分かりました。」

と、言われた。

その方は、既に充分、悟りの深い方である。それでも「まだまだ」と言われるのであれば、私などは、「まだまだ」という資格すらない、スタートラインにすら立っていない存在だろう。

そうか、父母への感謝というものは、いくら深く掘り下げても、さらに深く掘り下げなければ「まだまだ」なのか、と思った。

私も今回、浄心行を受けて、その方の言葉の意味が分かった。

自身が神の子であることを自覚すれば、自覚するほど、父母への感謝がまだまだ足りないことが分かってくる。

「父母への感謝=神の子の自覚」なのかも、知れない。

これは、「父母への感謝ができていない」と言って卑屈になること道ではない。

そうした自己処罰の道ではなく、自分が両親に感謝できることへの悦びがこみあげてくるのが、生長の家の真理の素晴らしいことである。


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