生長の家の信仰とは常不軽菩薩の生き方の実践――全ての人の仏性を礼拝するということ
私は今年の八月から今月初旬までの約3か月間、インド仏教復興運動最高指導者・佐々井秀嶺上人の下で修業させていただき、得度させていただく光栄に恵まれました。南天会の亀井龍亀上人をはじめ多くの方のお世話になったというか、かなりご迷惑をかけた結果であります。皆様、本当にありがとうございます。
佐々井上人は今ではインドに帰化し、インド政府の少数者委員会仏教徒代表に任命されるなど、名実共にインド仏教徒の頂点に立たれている方ですが、元々は真言宗の高尾山薬王院で得度された日本のお坊さんです。
そして、真言僧侶でありながら日蓮聖人を崇敬されており、インドで「南無妙法蓮華経」の題目も弘められました。今、インド仏教徒はパーリ語の経典のみならず題目も読誦しています。
そんな佐々井上人が私にくださったのが、常不軽菩薩の画です。大阪の高名な画家の豊下靖弘画伯の作画であり、貴重な絵画を頂いたことには本当に感謝しかありません。
この常不軽菩薩について、谷口雅春大聖師は次のように説かれています。
『法華経』に常不軽菩薩品というところがあります。常不軽菩薩というのは、常に軽んぜざる菩薩と書いてある。この菩薩は「われ常に人を軽んぜず」と言って、どんなヤクザが来ても、前科者が来ても、泥棒が来ても、ヒロポンの中毒が来ても、みんなに「あなたさまには佛が宿っておられるのです。必ず佛の実相がやがて現れるのでございます。有難うございます」と言って、どんな者にでも皆拝んだというのであります。そしたらヤクザが憤慨して、「どこが此の俺が佛か。俺みたいな者が佛だなんて言って、いいかげんな、人をごまかしやがって」といって、石を投げ打って菩薩を傷つけようとすると、常不軽菩薩は後にしりぞいて、石のあたらん辺まで行くと又振り向いてそのヤクザを拝んだというのです。“どんな人でもみんな佛の生命の現れである”というので、みんな拝んだのです。
その結果、その常不軽菩薩は今「私」となって生きているのである――と、お釈迦さんが言われたと『法華経』にはあります。即ち釈迦牟尼如来として生れて来ているのは、この常不軽菩薩であったのであります。すべての者を佛として拝んだら自分が佛になるのであると云う真理をお釈迦さんはお説きになったのであります。それを実行しているのが、生長の家であります。(『即身成佛の真理』28~29頁)
生長の家では両手を合わせて「ありがとうございます!」と言うのが挨拶になっています。これは相手の仏性に対して「ありがとう」と言っているのです。
「それを実行しているが」と雅春先生は言われましたが、恥ずかしながら私は生長の家の信徒でありながら、本当に生命礼拝を徹底して実行しているのかと言うと、はなはだ心もとないです。
常不軽菩薩のように全ての人の仏性を拝むよう、精進して参ります。
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