古田武彦先生の「皇=九州王朝の(死せる)歴代王者」論への疑問
『万葉集』に柿本人麻呂の次の歌がある、とされている。
大君は神にし座せば天雲の雷の上に廬らせるかも
これは「大君(大王、天皇)」は現人神であるから、雷丘の上に宮を造られたのである、という風な意味に解釈されてきたが、雷の丘の規模を考えても「神にし座せば」と「雷の上に廬らせるかも」とが、どうもしっくりこない。
無論、言葉遊び的な意味で「流石は陛下、あの(天空の)雷の上に宮殿を造られるとは!」とうたった、と言う解釈もあるけれども、そうだとすると何とも「白々しい」歌になってしまう。
これについて古田武彦先生は『古代史の十字路』で、まず
皇(すめろぎ)は神にしませば天雲の雷の上に廬らせるかも
と読んだ。「大王」と「皇」の違いに着目したのである。
そして、この「雷」を「邇邇芸命」を始め「九州王朝」の祖先神を祭祀している「雷神社」のある、筑前の「雷山」のことである、とした。
そこまでは私も「なるほど」と思う。だが、その後の「結論」には異論がある。
この雷山の上宮の祭神である神々、すなわちニニギノミコトや「天神七社」「地神五社」の神々は、(かつては生ある王者であったが)今や死者となり、「神」となっておられるので、の意となろう。(古田武彦『古代史の十字路』204頁)
つまり、「皇」を「歴代の(九州王朝の)王者」のことである、としたのである。
ここは「大王」ではなく、「皇」であるから、「おほきみ」ではない。「すめろぎ」だ。“代々の王者”“皇統の中の、各王者”を指す。(同書、200頁)
しかし、私は「すめろぎ」という言葉に「代々の王者」という意味があることを、知らない。ましてや、「各王者」という言い方は不可解である。
『日本書紀』に「天祖」という言葉で「邇邇芸命」を表現した例は、ある。しかし、単に「すめろぎ」と言えば「天神七社」や「地神五社」の神々を指す、という用例はあるのだろうか?
古田先生は「明治神宮」や「乃木神社」等の例を挙げて
以上のような、通例の、そしてもっとも自然な「使用慣例」に立ってみるとき、この「皇(すめろぎ)」とは、“死せる王者”であり、それ故、今「神」として祀られている。そのように理解すること、それがもっとも自然な理解だ。わたしにはそう思われる。(同書、201頁)
と述べているが、それは失礼ながら古田先生の「主観」に過ぎないように思われる。
そもそも「死せる王者」を「神」として祀るのは、近世以降の“伝統”ではなかろうか?
豊臣秀吉の「豊国神社」や徳川家康の「日光東照宮」がそれである。それ以前に「死せる王者」を「神」とする伝統があった、とは思えない。
私は、日光東照宮はあまり好きではない。「武力」で全国を統治した、江戸幕府の創始者を「神様」として拝む、そんな「権力者への媚売り」としか思えない“信仰”は、私の嫌うところである。
一方で「明治神宮」や「豊国神社」には“好き好んで”参拝するから、不思議なものだ。要は“死せる王者”だからではなく、“崇敬に値する王者”だから参拝している、ということである。
「橿原神宮」も「近江神宮」も「近代」の創建である。例外的に「八幡菩薩」への信仰はあるが、これとて“死せる王者”だから「神」と祀った、と言うよりも「応神天皇は釈迦牟尼如来(或いは、阿弥陀如来)の垂迹(化身)である」という「信仰」が元である。
つまり、「八幡菩薩(応神天皇)」は「生きているとき」から既に「仏の垂迹」であった、と言う訳であり、「死せる王者」だから「神」になった、と言う訳ではない。
また、今でも「橿原神宮」や「近江神宮」「明治神宮」を参拝される方は、例えば、橿原神宮を参拝する際に
「神武天皇陛下はご存命の時は“ただの人”であったが、亡くなると“神様”になった。」
等と言うつもりで崇敬しているのだろうか?「死せる王者」だから「拝む」が、「生きている間」は拝まない、そんなことがあるだろうか?
無論、先祖の霊を「祀る」週間はあったが、それは「王者」であるかどうかは、関係ない。
要するに、ここでいう「皇」というのを「代々の王者」等の意味というには、如何にも「疑問の余地」が“ありすぎる”のだ。
そもそも、現に「すめらみこと」と呼ばれている「天皇」その人ではなく「過去の誰かの総称」として「皇」を使うのは、変ではないのか。単に「社長」と言えば「現、社長」であって「歴代の各社長」等という意味では、無いはずである。
そもそも、邇邇芸命の時代に「皇」等と言う「漢字」の称号は、無かったはずである。甕依姫(卑弥呼、俾弥呼)の時代でも「倭王」が称号であり、「皇」が称号になったのは遥か「後世」のはずだ。
要するに、柿本人麻呂は当時「皇(すめろぎ)」と言われた九州王朝の“崇敬に値する王者”を「神」と呼んだのであり、決して“代々の王者”一般を指して「皇統の中の、各王者」を纏めて「皇」と呼んだのではない、ということだ。
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