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2020年1月 6日 (月)

財産と職業の世襲――貴族制度は是か非か


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 現在、我が国で「世襲議員」と言うとあまり良いイメージがありません。

 しかしながら、我が国は「世襲」大国であります。何よりも、「天皇陛下」からして「皇位は、世襲のものであ(『日本国憲法』第2条)るとされているわけです。伝統芸能や宗教の世界でも世襲が多いし、政治や経済の世界でも世襲はあります。

 また、職業の世襲もあります。塾で教えている子供、親が看護師だと看護師を目指す、医師だと医師を目指す、と言う例は決して少なくありません。

 そして、財産の相続。これも言い換えれば「財産の世襲」です。

 かつて律令国家の頃の日本は『班田収授法』が施行されており、財産を相続すること自体は認められていましたが、当時の重要な資産である「農地」については、亡くなると政府に没収されていました。しかし、それによって格差の拡大を防いでいた、と言う面もあります。

 『墾田永年私財法』により私有財産の所有と世襲が全面的に認められると、資産の貴族階級への集中が始まりました。我が国は「院宮王臣家」という一握りの特権階級に支配され、やがてそれへの反発で武士が武力により政権を奪うのです。

 そして、その武士も江戸時代になると世襲制になり、あらゆる職業は世襲となりました。田畑については売買が禁止されたため、財産の世襲も強化されました。

 この江戸時代は、とても安定していた時代でした。世襲には世の中を安定させる、というメリットがあります。

 皇室祭祀も世襲でなければ継承されていなかったでしょう。先祖供養と言うのも、古代から先祖を崇敬する風習はどこの国にでもありましたが、我が国のように定期的にお寺さんを呼んで供養するようになったのは、江戸時代以降のことですから、「世襲」と「祭祀」と言うのは密接に関係しています。

 かなり儀式が簡略化された現代でも、冠婚葬祭には莫大な費用が掛かります。冠婚葬祭を恙なく行うにはそれなりの資産が必要ですし、また「家族の一体感」のようなものも必要です。親子の肉親の愛情がなければ、お葬式に何十万円もお金をかけることなど、到底できません。

 冠婚葬祭を始めとする祭祀と言うものを継承するには、やはり世襲が必要なのです。

 人間は「利害」を語っても争いが起きますが、「正義」や「善悪」を語っても争いが起きます。「正義の基準」や「善悪の基準」も人によって違うのですから、それは当たり前のことです。

 ならば、人間が争わない社会にするためには、「利害」でも「正義」でも「善悪」でもなく、「愛情」を基盤に置く必要があります。そして、「愛情」の雛形となるのが「家族愛」です。この「家族愛」を形に表したものが「世襲」なのです。

 一方、こうした世襲にはデメリットもあります。「財産」の世襲は格差拡大を齎しますし、「職業」世襲は職業選択の自由を妨害します。

 中でもインドのカースト制度のように「職業世襲」が「差別生産」の基盤となっている例もあります。こういった形での世襲は排除しなければなりません。

 一方で、伝統芸能や宗教家(社家、等)の世襲は、公益のあるものの継承を目的としており、公益性のある伝統の継承という意味では、皇室に近い存在です。そういった家系を一種の貴族制度として保護することは、私は悪いことであるとは思いません。

 そうすると、問題になってくるのが政治家の世襲です。政治には安定も変革もどちらも必要ですが、我が国の風土では過度に安定を望む有権者により、世襲議員がやたら多いのが現状です。

 ならば、国会を「衆議院」と「貴族院」とに分けて、衆議院では世襲を厳格に禁止し、貴族院は世襲の政治家による「権力無き貴族院」とするのが適切でしょう。

 さて、世襲の弊害を除去するためには、職業選択の自由の高度な保証が必要であり、そのためには高等教育や専門教育を誰でも受けられる環境にする必要があります。そのためには、高等教育無償化が必要でしょう。

 モンテスキューは貴族制度を擁護しましたが、貴族制度については今回触れたような観点を含めて議論する必要があります。


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