「多神教」ではなく「一神教」で考えないと
先日、「神道は多神教ではない」という簡単な理由という記事をnoteに公開したけれど、あまりピンと来ない方が多かったみたい。
誤解を恐れずに言うと、「多神教」なんかカルトですよ・・・いや、炎上する前にあんたら、本気でgodが沢山いると思ってる?という話なんです。
と、初っ端に炎上商法的なことを言ってしまい、すみません。
私が言いたいのは、godが沢山いる宗教と言うのは、寛容でも素晴らしいことでも、何でもない、ということです。
神道で礼拝する神々と言うのは、「一神教」「多神教」と言う時の「神(god)」では、ありません。
そういう「神(god)」が多数いる宗教と言うのは、例えば、ヒンドゥー教があります。ヒンドゥー教には33億もの神様がいます。
「多神教は寛容だ!」と思っている皆さん、ヒンドゥー教は全然寛容ではありませんから。
あ、念のために言っておくと、中には寛容な方もいますよ。何せ、仏教徒よりも人口が多いとされているヒンドゥー教徒ですからね。
だけど、異教徒立ち入り禁止の寺院は珍しくないし、今でも元不可触民は参拝できない寺院もあるし、「多神教だから寛容」と言う訳ではないことは明白です。
そして、インドでカースト制度に否定的だったり、他宗教との融和に積極的だったりするヒンドゥー教系の宗教家は「ヴィシュヌ一神教」や「シヴァ一神教」の立場だったりするわけです。
いずれにせよ、崇拝と言うのは定義的には
宗教的対象に自己の救済一切をまかせ願求する心をもって、対象を敬いあがめること。
なので、そんな「宗教的対象」が二つも三つも八百万も三十三億もあったら、それはもう、異常な状態なんです。
仏教ではそうした問題を「全ては一体である」という観点で解決しています。
だから、仏教は多神教ではなく、一神教なんです。
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