真の「日本国実相顕現」を考える掲示板

2017年1月26日 (木)

【掲示板より】高良大神再降臨の教言

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25 :真理の使徒 :2016/12/15(木) 20:52:23

「業の自壊作用の教言」

 現象の世界は実相が展開する過程である。実相とは不動の世界ではない。時間と空間とを超越したところの不断にして大いなる働きである。実相の働きを時間と空間の上に表すということが、善業を積むということなのである。

 しかし、現象で悪業を積めば、神の怒りを受ける、等と考えてはならない。神は悪を犯す人間を作っていないのである。

 実相の人間は完全であるが、現象の人間な不完全である、と悟ることが真理を悟ることではない。時間と空間の制約を通して世界を見ると不完全なのは当たり前である。肉体の五官を通して世界を見ると不完全なのは当たり前である。不完全な心を以て世界を見ると不完全なのは当たり前である。

 不完全に見るから不完全なのであって、不完全なものが存在するのではない。

 だからと言って、不完全な自分の見方を悔いるものは、真に悟っていないものである。そのような不完全な五官も、不完全な心も現象の産物であって、実相にはないのである。

 現象とは、神の子たる自己を表現するための舞台である。ならば、我々は慶んでそれを演ずればよい。神は完全であるから、無限の可能性を持っている。従って、神の子である我らも無限の可能性を持っているのであるから、自由に現象の舞台で演ずることができるのである。

 自由に演じた結果、過ちを犯した、等と思ってはならない。我々が創作した舞台の上のキャラクターは過ちを犯しているかもしれないが、それは実相の世界の事ではない。吾々は神より完全なる自由を与えられ、且つ、絶対に過ちを犯さないことを保障されているのである。

 しかし、我々は神の子であるから、自由の内にも神の導きを求めるのである。悪業を積むと業の自壊作用が顕われるのは、我々が神に導かれるための神の慈悲である。仮に迷いの自壊作用によって我々が滅んだとしても、実相の我々は滅んでいないのであるから、迷いの自壊作用を恐れてはならない。

 迷いの自壊作用とは、観世音菩薩の教えである。人間は過ちを犯した後、その過ちが目に見える形で現れることによって、それを修正したいという欲求が湧いてくるのである。

 善とは強制されて行うものではない。自由なる意思によって行うものである。悪業を積んで迷いが自壊するのは、人間が善なる方向へ向かうための神の慈悲である。

 我々は悪業を恐れてはならない。善なる神の御光を当てると悪業は消滅する。業の自壊作用は我々が善なる神のみ光を受けるための神の慈悲なのである。


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29: 神の子さん :2017/01/13(金) 14:25:41

「高良大神再降臨の教言

 高良大神降臨の時が来た。今は日本国実相顕現の前の未明の時なのである。

 高良玉垂神とは、月読の大神である。霊界の神である。

 今、高良大神が降臨するのは、唯物論の迷妄を砕波するためである。

 日が昇ると月は退く。天岩戸が開かれて天照大御神が出御されて、高天原が地上に顕現する時は近づいている。これが、真の日本国実相顕現である。

 高良大神は、未明の世界を統べる神である。唯物論の迷妄を打破し、霊界を浄めてこそ、日本国の実相が顕現する。

 日本国実相顕現とは、蛭子を葦船に流して実現するが如きものではないのである。蛭子も神の子であると悟ることが、日本国の実相顕現である。蛭子とは、水子の象徴である。

 一億人も子供を殺しておいて、平穏無事に実相が顕現されると考えてはならない。素戔嗚尊が唯物論の迷妄によって道を誤ったのは、蛭子の大神を子の中(うち)に入れなかったからである。素戔嗚の暴虐は業の自壊作用なのである。

 これから日本には大浄化の時代が来る。世界を大変動が襲うであろう。これを神の罰と捉えてはならない。唯物論の業の自壊作用である。迷いが完全に自壊した時、住吉大神が顕われて日本国の実相が顕現されるのである。

 高良大神の地元である博多駅の前で道路が陥没したことは、高良大神の怒りではない。唯物論文明の自壊の時が来たことを象徴しているのである。吹き出た水は水子を生み出した業によって災害が起きることを警告している。

 神は罰を下さなさい。今回の事故では、犠牲者は出なかった。神の御業が顕われて人が傷つくということはないのである。

 今後、もしも犠牲者が出るとすれば、それは神の御業が顕われたことではない。業の自壊作用によって不幸が起きるのである。

 しかし、神の御教えは因果を超越した道である。

 悪とは、善が存在しない状態であって、積極的存在ではない。間違っても、悪が積極的に存在しない状態が、善であるということは、ないのである。悪業を積む、というのは誤りである。善業を積んでいなかっただけのことである。

 蛭子を子の中(うち)に入れなかった時は過ぎ去った。水子を子の中に入れなければならない。そうすれば、天照大御神と素戔嗚尊の対立など存在せず、天岩戸は最初から閉じられていないことがわかるのである。

 人間が物質に捉われて、霊的なものを見失った時に、蛭子は誕生する。蛭子もまた浄化の神なのであり、観世音菩薩の教えなのである。

 もしも私たちがこのことに気が付かず、物質を以て実相の神と対立するものであると誤信し、唯物論に陥って日本国を現象の小国であると思うならば、過去の悪業はそのまま現れる。これは神の罰ではなく、業を浄めて私たちが神の子の自覚を得るための働きである。

 高良大神は父なる住吉大神の言葉を伝えに来た。住吉大神は観世音菩薩の別名である。私たちは観世音の教えに耳を傾けて、実相顕現の道を歩むのである。

 ありがとうございます。


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2017年1月20日 (金)

【掲示板より】天地一切と和解する祈り

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26: トンチンカン信徒 :2017/01/12(木) 02:18:07

~天地一切と和解する祈り~

われ今

ここに、神の子として新生し、

神に感謝し奉る。

神は

普遍的存在にましますのである。

一切を包容し、

一切のものの周囲に、

又一切のものの内にましまして、

一切のものを渾然と一つに融和したまうのである。

それゆえに、

私もまた、神の子として、その渾然たる一つの融和体の中に存在するのである。

それゆえに私は天地一切のものと融和し、

天地一切のものと調和の関係にあり、わが働きは、

他の天地一切のものの動きは、

また我を生かす動きとなるのである。

すべての人と事と物とは、今ここに渾然と調和しており、

たがい争いたつということはないのである。

現象の世界のに、

如何なる対立の関係にあろうとも、

如何なる闘争の関係にあろうとも、

それは妄想の顕すところであり、

妄想は、

やがて消えるべき運命にあるのであるから、

私はそれを恐れることもないし、

それに愕くこともないのである。

妖雲羃々と空を覆うことがあっても、

その上には

常に蒼空があるのと同じように、

如何に暗澹たる状態が現象的にあらわれてこようとも、

その状態に対して

心をどうずることはないのである。

心を動ずることがないから、何らの対策を講じないのかというと、

決してそうではないのである。

心を動ずることがないから最も適切なる智慧が

泉の如く涌き出でて

暗を消してしまう処置ができるのである。

光の進軍に対しては

暗は逆らうことも、

抵抗することもできないのである。

事に応じてわが為すところの行為は

神の子

大神の智慧の炬火をとぼして進軍するのであるから、誰もそれを遮ることはできないのである。

神は

『暗に対しては光を以て相対せよ』

と仰せられているのである。

光進む、

暗は消える。

神はわららに

『常に心明るくもて』

と仰せらているのである。一時といえども

私は心を曇らすことをしないのである。

神は勇気の本源であり、

神の子たる私は、

勇気そのものである。

神の智慧われ来たて、

迅速果敢に

適当なる決意と断行をなさしめ給うのである。

ああ、感謝すべきかな、

天地万物は

ことごとく神の子として兄弟姉妹であり、

われを常に祝福、

われを常に援助、

わが希望を必ず成就せしめ給うのである。

(第一章・谷口雅春・文)


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27 :日野 :2017/01/12(木) 12:58:26

>>26

『万物調和六章経』の最初にあるお経ですね。本当に素晴らしい真理です。

読んでいると気持ちが良くなります。


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28: トンチンカン信徒 :2017/01/12(木) 18:20:54

ありがとう、ございます。

少し、時間有るとき、

新経・語録

載せていきましょ。

シンプルなのと

新しい、教えを

流布するのが

一番良いかと思えます。


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